ボンタンを取り返したかっただけなのに

人間観察

今では、わりと陽気に暮らしています。

嫌なことがあっても、
「まぁ、そんな日もあるか」
と受け流せるようになりました。

けれど、ボク自身、昔からそうだったわけではありません。

ボクにも、それなりに悩みはありました。

特に中学生の頃は、人の顔色をよく見ていた気がします。

先生は怒っていないか。
親に話したら、味方になってくれるか。
この人には、何を言えば通じるのか。

そんなことを考えるようになったキッカケの一つが、一本のボンタンでした。


昭和の不思議な制服文化

昭和60年代。
当時の男子中学生の間では、改造制服が流行っていました。

学ランの丈を長くしたり短くしたり。

ズボンの裾を細くして。
反対に、太ももの部分は異様に太くする。

なぜ、わざわざ学校指定の制服を買ったあとで、
さらにお金を払って形を変えるのか。
今のボクには、よく分かりません。

けれど、当時は格好よく見えたのです。

ボクが履いていたのは、ボンタンと呼ばれる
太いズボンでした。
それを履いて学校へ行くだけで、
「ボクも少しは不良側の人間ですよ」
と表明できる。

そんな、訳の分からない文化がありました。

とはいえ、ボクは本格的な不良ではありません。

先生に対して正面から反抗する勇気もない。

ただ、制服だけは少し目立ちたい。

今から思えば、ずいぶん安全運転な反抗期です。


密告者、現る🥷

ある日、ボクはボンタンを履いて登校しました。

すると、すぐに先生へ報告する生徒が現れます。
実に仕事が早い👍​

こちらが一時間目を迎える前に、相手はすでに
任務を完了しています🥷

そして、ボンタンは先生に没収されました。

あっけない幕切れです。
少しくらい注意されて終わると思っていたのに、
ズボンそのものを持っていかれました。

その後、授業を受けた服装は、
トップスは爪入り学ラン。
そしてボトムスはジャージ。

というMB先生も驚きの
カジュアルとドレスの割合🤵

まるでバツゲームです。

当然のことながら、ボクは腹が立ちます。

自分のお金で買ったものではありません。
親からもらっていたお小遣いを少しずつ
貯めて買ったものです。

だからこそ思いついたのです。
「親に言えば、取り返してもらえるんじゃないか?」と。

中学生なりの名案でした。

今振り返ると、名案ではありません。
完全な誤算です。


味方を増やすつもりだった

家へ帰ったボクは、母親に事情を話しました。

先生にボンタンを没収された。
勝手に取られた。
取り返してほしい。

おそらくボクの頭の中では、
母親が学校へ電話をかけ、
「うちの子のズボンを返してください」
と先生に抗議してくれるはずでした。

ところが、母親は泣き出しました。
想定していた反応と違います。

ボクとしては、援軍を呼んだつもりでした。
しかし、援軍は泣いている。

そこへ父親も現れました。
事情を知った父親は、先生に文句を言うのではなく、
ボクを殴りました✋

い、痛い😢

学校では、ボンタンを没収される。
家では、母親に泣かれる。
さらに、父親には殴られる。

一本のズボンから、ここまで話が広がるとは思いませんでした。

まさに踏んだり蹴ったりです。

しかも、肝心のボンタンは戻ってきません。
作戦は完全に失敗しました。


人には、それぞれの考え方がある

当時のボクは、
「なぜ、誰もボクの味方をしてくれないんだ」
と腹を立てていました。

けれど、今なら少し分かります。

先生には、校則を守らせるという正義があった。
母親には、息子が不良になってしまうという不安があった。
父親には、先生へ逆らう子どもを正さなければならないと
いう考えがあった。

逆に、ボクには、
「みんな履いているんだから、別にいいじゃん」
という価値観だけだったのです。

同じ出来事を見ていても、立場によって反応は変わります。

ボクにとっては、少し太いだけのズボン。
親にとっては、息子が悪の道へ進み始めた証拠。
先生にとっては、学校の秩序を乱す危険物品。

ボンタン一本に対する評価が、ずいぶん違います。


顔色を読むようになった

この頃から、ボクは人の反応を先に考えるようになりました。

この話をしたら、相手は笑うのか。
怒るのか。
泣くのか。
それとも、殴るのか。

同じ言葉でも、誰に伝えるかによって結果が変わる。

そんな当たり前のことを、ボクは身をもって体験しました。

先生の目を見る。
眉間のシワを見る。

親の声の調子を聞く。

今、話しても大丈夫なのか。
少し待ったほうがよいのか。

それでも言うなら、どう言えば通じるのか。

ボクの人間観察は、たぶんそんなところから始まっています。


ボンタンが残したもの

もちろん、中学生のボクは、そこまで深く考えていません。

ただ、
「親に言えば何とかなる」
という浅はかな作戦に失敗しただけです。

それでも、この出来事から学んだことは残りました。

人は、自分の思いどおりには動かない。
自分には理解できない理由で、怒ったり泣いたりする。

だから、まず相手を見る。
そして、自分の伝え方を少し変える。

今のボクが習慣や欲求を観察するようになった
原点にも、この考えがあります。

人間は完璧ではありません。

先生も。
親も。
もちろん、ボク自身もです。

だからこそ、人は面白い。

あのとき没収されたボンタンは、
結局どうなったのか覚えていません。

ただ、一つだけ確かなことがあります。
ボンタンは戻ってきませんでした。

その代わりに、ボクには人の顔色を見るクセが残りました。

ずいぶん高い授業料です。

もっとも授業料を払ったのは、
ボンタンを買うためのお小遣いをくれてた親なのですが。


近況報告

最近、急に父が、アクティブな生き方になりました。

というのも昨日から突然、一人で新幹線に乗って東京に
宿をとって出掛けたのだそうで、父のウハウハな心情が
lineの短いメッセージから伝わって来ました。

今ボクの父は、独居生活中なので、認知症予防のためと、
生存確認の手段として毎朝、ボクたち親子はline交換をして
たのですが、この変わりように正直、息子であるボクは
ついていけません。

ぶっちゃけ、ボクの父親は、団塊世代の真っただ中の世代
なので、lineを使い出してから、まだ1年も経ってない
超アナログ人間だったのが、毎日のようにグーグルを
使って検索をしてる内に、気がついたら、デジタル派に
変わっていたのです。

まぁ、もともと短絡的な性格だったので、そんな父に
振り回される生活をしてきた訳です。
だから、今さら思い通りにさせようとも思わないので、
どうか最低限、他人の迷惑にならないような生き方を
してくれたら、ボクはいいかなぁと思います。

ルキウス・ヒラノでした。
今日も最後まで読んでくれて、ありがとう。


ルキウス・ヒラノ

ズルく、ゆっくり、確実に。
頑張らずに続いてしまった生活を、 このブログに記録しています。

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